日本の大地で培われて来た日本人の感性を原点とするデザイン創造集団


by j-sense
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カテゴリ:■「北のデザイン」研究会( 2 )

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この美しい豊かな大地に、何故美しい街並が育たないのか、とても残念に思っています。
その思いは、私たちだけではなく、良識のある人々に共通した疑問であり、願いです。

そして、個々別々の孤立した住宅街ではなく、温かいコミュニティ(地域共同体)が育つ仕組とデザインが必要であることも、孤立した近隣関係しかない現代の大きな課題と考えています。

私たちは、こうした願いを実現するためにj-sense「北のデザイン」研究会を始めています。そこで構築したデザインスキル(技術、ノウハウ)を実践するためには、良心的で意欲的な住宅メーカー、そしてマンションデベロッパーの皆様の恊働は欠かせません。デザイナーだけではなく、つくり手の参加を期待しています。

どのように小さな取組みでも、世の中を動かすことはできます。たった一軒のプロジェクトでも大切にしようと思っています。
わたくしたちが考えている北のデザイン。それは、以下のような方向性をもつものです。

□ 高気密高断熱ではあっても、「閉じた」住宅にすることなく季節や近隣に対して「開く」住宅をつくります。そこに、日本の伝統的な住まいの文化があるからです。「開く」ことが自然とつながり、近隣ともつながると考えています。
□ 太陽熱、地熱、廃熱回収などを総合的に考えた環境共生住宅をつくります。
□ 自然と健康に優しい建材とデザインを大切にし、設備機器を暮らしに合わせた住宅をつくります。私たちは総合的で科学的な温熱環境をつくる技術を蓄積しています。また、北海道の木材資源、珪藻土など地場材の活用により、循環経済を実現し、内地への販売も積極的に取り組みます。林産試験所との恊働も大切にして行きます。
□ 日本人が長年培って来たデザイン感性、空間感性は世界に通じるものです。そうした感性を住宅の中に生かします。真行草、わび、地派手、有無、数寄などの心です。
□ 住まい手、つくり手、デザイナー、研究者の4者の恊働と和を大切にします。
□ これまでに、それぞれが築きあげて来た経験と蓄積を大切にし、そこからのデザインをつくりあげて行きます。それぞれの住宅メーカーが培って来た蓄積を尊敬し、そこから出発した住宅をつくりあげて行けるような柔らかい「北のデザイン」を構築して行きます。「北のデザイン」研究会は、住宅メーカーの具体的な商品開発も取り組みます。実践的な研究会という姿勢を貫いて行きます。
□ そして、何よりも美しい住宅をつくります。

さて、こうした考えに基づき、北の大地にふさわしい住まいづくりを実現する恊働のプロジェクトとしてj-sense「北のデザイン」研究会を発足し継続して行きます。皆様の積極的なご参加を心待ちにしています。


j-sense「北のデザイン」研究会
■j-sense札幌〒065-0013 札幌市東区北13条東1丁目1-10
tel011-826-5080 fax011-826-5081
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by j-sense | 2007-10-15 09:21 | ■「北のデザイン」研究会
written by 丸谷博男

 日本の床、とくに靴を脱ぐという行為にはたくさんの意味が含まれています。
 土足、あるいは下履きと上履き、外履きと内履き、下足と上足、これらの言葉には色々なニュアンスが含まれていそうです。
 靴を履いているのは外の生活、靴を脱ぐのは内の生活。というように靴を脱ぐという行為は外界との間には大きな境や結界を持っています。来客に対して、下足を脱がせるのか、下足のままで応対するのかは、まったく姿勢や扱いが違います。家に招き入れるという行為は特別なのです。他人ではないという意味があるのです。
 さてここで、日本の住まいの「床」というものを改めて見直してみましょう。

■ 床=板床or 畳床
 人類の生活に板床が現れるのは、横穴住居から縦穴住居、縦穴住居から高床住居と変遷する中で高床が出現します。はじめは居住のための建物ではなく食料品の保存庫としての倉庫建築でした。高倉は周囲が吹きさらしになっていましたので人間が住むには適さなかったのです。縄文時代も高倉と竪穴住居が併存しましたが、人々はけして高床には住みませんでした。その期間は一万年もの歳月になります。土間は、夏涼しく冬温かかったからです。動物たちが冬に縦穴や横穴に冬眠するのは、地熱の恩恵を受けるためだからなのです。
 平安時代になって、板床の上におく敷物として畳が現れます。板床に人々が暮らそうとすると断熱性のある敷物が必要となったのです。そしてその内に、畳は敷き詰められるようになり、畳床が誕生するようになります。その結果、板床と畳床が一軒の家の中で使い分けられて行くことになります。基本的には、部屋は畳床、廊下は板床として使い分けられて行きます。
 それは生活様式の変遷とも一体的に変化して行きました。つまり、「座る」「居る」「寝る」という行為は畳の上、移動のための「歩く」ところは板の上でということとされていったのです。
 また、土間というものが外界と板床との間に存在しました。現代ではずいぶん狭くなってしまっていますが「玄関」がそれに当たります。一昔前までは大きな土間がありました。それは屋内の作業空間でした。台所も土間で行われて来ました。

■ 畳床での生活
 日本の生活様式は畳の上で培われて来たと言えます。毎日の食住、祭事、礼儀作法、さまざまな習慣と感性がそこで培われました。座位と立位の目線の違いにも礼儀が伴っています。座っている人に立ったままで挨拶するのは失礼ということもその代表的なものです。目上、目下という言葉もそうですね。
 現代でも板床はスリッパで歩くけれども、畳床はスリッパを脱ぎ素足で歩く。ここにも培われて来たものの考え方があるのです。
 畳床の時代には、不思議なことに生活のための収納家具は大変少なかったのです。押し入れ、天袋、地袋などの造作家具、水屋、茶箪笥という置き家具、座卓。和室の家具は本当にシンプルでした。

■ 洋間を生活に取り入れる
 明治時代になって文明開化が始まる。西洋式の生活は板床の上での椅子座の生活でした。
本来は下足での生活でしたがそれだけは取り入れることができませんでした。ここで、日本独特の畳床と板床が同居する住宅が発展して行くのです。畳床の生活にはなかった食卓、応接家具、洋服タンス、和タンス、食器棚、机、本棚など多彩な家具が住宅内に現れてくるのです。この流れが現代の住宅の様相となっているのです。
 板床の流れには次のような流れがあります。江戸時代以前の床板は移動やもの入れの場所になっていましたのでほとんどが加工し易い杉、桧、松などの針葉樹が使われていました。洋室が入って来た時には土足や椅子や家具を使うという問題がありましたので硬質のナラ、ブナ、チークなどの広葉樹が使われました。これは現代にも通じています。
 ところが、最近の環境共生という考え方から、「里山の木を使う」「人に優しい素材」など再び針葉樹の床材が復活しつつあります。断熱性が高く、座しても、寝転んでも広葉樹に比べて痛くない針葉樹が徐々に使われ始めるのです。

■これからの床は多種多彩
 冷たかった板床も、床暖房が可能になることで扱い方が大きく変わって来ました。また、断熱性能があがってくると家の中に冷たいものはなくなってしまいます。かつては冬の床下には冷たい外気が流れていたのですから仕方なかったと思います。
 現代は、床材が自由自在に選択できる時代です。また、樹種も国際色豊か、多種多様の模様や質感が考えられる時代になっています。適材適所の原則だけではなく、遊び、趣味、異国情緒、芸術表現、こうした床の生活文化をあらためて見つめて行く時代ともなっています。
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by j-sense | 2007-10-14 10:53 | ■「北のデザイン」研究会